日本・侍士の会が地域に密着し,人と人を結び世に出ない話題を集めローカルな特色のある取材を行い、その地の特産物である海の物山の物川の物という食材や地場の焼酎などを取り上げていきます。その際、各地域にある侍士の会加入店も特派員になり、情報収集し、またその地方の活性または、宣伝する場(チャンス)を提供したいと考えます。公序良俗に関しない限り焼酎に関する情報をお待ちしております。各特約店の方々からの焼酎情報や一般の方々からの話題もお楽しみいただければ幸いです。
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八丈回顧紀行(丹宗庄右衛門を追って)
 東京から約290キロも離れた八丈島に芋焼酎製造法を伝えたのは、島流しがきっかけの薩摩の商人、丹宗庄右衛門だった。庄右衛門が伝えた焼酎は、島内の酒造元が150年経過した今でも大事に伝承され脈々と続いていた。

第3編
◎ここで、各蔵元の紹介をしておきたい。
(私たちが見たまま、感じた通りのレポートである。)

坂下酒造(有) 八丈町三根    代表銘柄 黒潮

 やはり、非常に小さな蔵であり古く時代を感じる景観と内情の厳しさを説明の中に感じた。仕込みに昔ながらを残し亀仕込みではないが、手作業により丁寧に狭い作業場のなかで仕込まれていた。麦焼酎は、年中仕込めるという利点の話もきいた。この、蔵に昔の木桶蒸留を現実に使用して作業している古い写真が飾ってあった。現在の復元した蔵元のものより、やはり大きく違いがあるように感じた。本物の時代と精神をこの坂下酒造にみた。一見の価値がある蔵だった。あまりにも擦れていないのが、印象的だった。大事に残したい蔵元である。
    
(蔵の中。まだ、作業がはじまってない状態)
(麦麹造り)
(麹造りと麦の二次仕込み二つを見る事ができた。)

八丈島酒造合名会社   八丈町大賀郷
 代表銘柄    八重椿・島流し・晃海・一本釣り


 細い曲がった農道くらいの道の奥に蔵があった。聞かなければ、判らない所だ。中に入る。ここも、古い。永く、手を入れてないらしい。蔵の
壁や天井は真っ黒にカビが付き何重にも年月を重ねた様子がうかがえた。場内では、湯気が立ち蒸留中だった。いい香りである。シューッという音と共に蒸気がむき出しのセメン床を走っているのが、印象的だった。明るい場所と奥の暗い場所があり、奥には分厚い板で出来た、年式の古い製麹に使う台があり、その横に人の背丈ほどの古酒用甕らしいものがカビやほこりをかぶって放置してあった。窓の外には、一般製造元で使用されているホーロータンク程の大きさの木桶が雨さらしになって捨てられていた。昔のものらしく、何個も屋敷の裏手にあり朽ち果てていた。蒸留の様子を見た。物凄く小さな容器で受けていた。その、一番濃い部分を奥山さんから、4合瓶で2本も記念に頂いた。これは、持ち帰り自分で油をとり最低の瓶内無濾過焼酎古酒になっている。今度、訪ねる時、持参しょうと思う。ここに、いると時間を忘れる。だから、木場専務に「原点を感じませんか。」と言ったら、「そのとおりですね。」と返ってきた。私のそれは、こだわった造りという話ではない。難しく捉える時代に単に何年も変わらず普段どおりの気負いのない仕込み風景が自然で複雑な思いが言葉になってでたのだ。
 
                      
            大きな甕壷古酒1本     
(天井までついた蔵菌) (朽ち果てた木製タンク)
        
 小さなタンクに蒸留中 (小さな壷の古酒)
(取材中の奥山社長)  (木製製麹箱)

樫立酒造株式会社   
八丈町樫立   代表銘柄  島の華・丹酒・塩梅


 私達が島を訪ねた時、樫立酒造は蔵の
立て直しの為何も無かった。あったのは、外された「島の華」の年季の入った看板が一枚と新しく建てられた製造工場家屋だけだった。母屋で、八丈名物の里芋を食べた。判らないがご馳走まであった。もてなしが凄かった。あの交流会で里の蔵を継ぐため帰島した彼の会社だった。社長が重い病気の為に、早いが蔵を存続される為、「跡継の意思でこれからの時代に合わせた世代交代です。」と社長が言われた。それにしても、皮肉にも業界が多くの問題勃発による危機感を持ち出した時期で、廃棄問題や税の問題で大変な経費増大による心配があると、樫立酒造の一家からも話があがった。我々も同じようにそうゆう不安の中で八丈に来ている。人柄がとても良く、なんとしても存続させ美味しい島酒を造り続けて頂きたいものだ。この蔵は、八丈を周っている本道より山手に少し登った高台にあった。ここも、判り難い場所だった。ここで、社長が手のひらに乗る様な小さな茶色い焼き物に入った焼酎を見せられたとき、木場専務が「これは家にもあり、先代が昔から持っていた物と同じ物です。」と云い、実はすでに無い「丹酒」という焼酎だった。偶然ではあるが、ここにも、丹宗が生きて存在し影響を与えていたことを確認した。
        

         
            (八丈風おもてなし)

磯崎酒造株式会社   八丈町大賀郷  
代表銘柄  黄八丈・あがりやれ・大漁(麦)・磯娘(芋)


右へつづきます…。
 
 



…左からの続きです。

 本道沿いにあり、湊が近く海も見える。入り口のシャッターには銘柄が書いてありいかにも、蔵元の入り口であった。その、木戸口には、廃棄粕の見えるマンフォールがあり、中に入る前に臭いを嗅ぎ
廃棄問題の話になった。蔵の中に入る。小さなタンクがあり、すでに仕込まれたモロミの香りが蔵全体を包んでいた。しかし、静かだ。懐かしい10本入りの木箱がまだ使用され隅に銘柄別に積まれていた。酒造場の中央には、煉瓦造りの蒸留場があり真ん中に木製の机があった。ここは、磯崎さんが全てを見渡し仕込みを仕切られるのだろう。色々なメモがたくさんある。蒸留待ちの段階を踏んだモロミを見る為、カバーを捲り説明をされた。麦だ。本当に綺麗なモロミで、香りも華やかだ。蒸留後が楽しみだ。
(磯崎酒造の入り口)   (焼酎粕廃棄蓋)
 (珍しい煉瓦造りの設備)   (裏庭の隠れざる貯蔵庫)

もう1つ
見せたい物があると、その奥に通された。蔵を出ると小さな小屋があった。屋根の上は、観葉植物や植物が茂っていた。ギーッと重い扉を開けると、光が無く、カメラマンがライトを点けた瞬間、皆が驚いた。白、灰色、茶色、黒と煤けたカビ等に塗れた如何にも年月を経た壷が目の前に現れたのだった。当時20年古酒と言われた。一度、紹介された時反響が凄すぎて、今はこれだけが保存の意味で残してあると説明された。唾が出た。一口、頂けば良かった。でも、あれだけ焼酎好きな磯崎さんが、手をつけずに保存されているのだから、大事にされ貴重な一品・絶品なのだと思う。また、八丈を訪問することがあると思うが、必ずまた杯を交わしたい。
(古酒)
     
八丈興発株式会社   八丈町三根
代表銘柄  八丈鬼ごろし・情け嶋・庄右エ門・タモ〜レ


 想像とはかけ離れた位の
新しい近代設備を持つ新築の酒造場、というより焼酎工場。蔵の前は、整備新設されたばかりの、マリンリゾート港があった。蔵の周りは、ごつごつと石ころや砂地だらけであったが今では綺麗になっていることだろう。名所になることだろうと言われていた。中はピカピカの設備で今まで見てきた蔵とのギャップが凄かった。
 しかしこれには
があった、他の蔵のように老朽化が原因で漏電による火事を起こし、再興を新起しようとこの様な計画になったということだった。多くの企画焼酎以外に、特産物開発にも積極的に取り組んでいる。
(八丈興発・正面) (小宮山善仁社長と会う)
(新しい蒸留器) (蒸し機)
木場酒造の木場専務もこれだけの設備には、ただ見入るだけだった。
                      
     バラエティ豊富な開発商品
                                    

               終わり
第3完結編
読者の皆様、長い文面での八丈回顧紀行のお付き合いありがとうございます。この、取材原文を確認された、東京在住、阿久根丹宗本家の方から、お礼の礼状が届きました。「涙が出るほど」・・と、これで回顧紀行を纏めたことが間違いでなかったと安堵しました。
 
  八丈島焼酎も薩摩焼酎もとても美味しいです。
 
◎八丈島の焼酎のお問い合わせは、各地お近くの
   お酒屋さんでどうぞ!
 また、異常な反響は製造元にご迷惑がかかりますので、心ある配慮を御願い致します。この回顧紀行の取材から数年経過している為、多少情報に変動があると思いますがご了承下さい。
特派員:しょつやの前畑(店主:前畑さん)
【鹿児島県曽於郡財部町】


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五分の目編集局
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五分の目編集局長より
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