故郷探訪キャラバン隊・各市町村役場を通じて、鹿児島県全市町村を訪問し、海の物山の物川の物あるところに、人情あり、焼酎の香りありと、その地の歴史・文化・観光施設・特産物・焼酎情報等を紹介していきます。足を使い、鹿児島のありのままの現実や、素晴らしいところなどを、地元の方の声を伺いながら掲載、旬の情報として皆様に楽しみにしていただきたいと思います。毎回、足と耳と目を使い、心のこもったITの世界(掛け橋)にしていきたいと思います。是非、取材車を見かけましたら、声をかけて下さい。 
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 ◎皆さんの町や村を訪問して応援しますよ!
 新 
     
第1回 訪問先 【笠沙町】 7月13・14
お待たせしました!
やっと待望のキャラバン隊が発信します!
★財部1時出発、3時半着。今回は財部町役場・企画課から富岡豊文さんと宮崎県都城市栫井昭一(カコイ酒店)さんが同行しての取材となりました。どんな、道中になるのかわかりませんが、今までにない企画で、将来色々と期待できる様なスタートにしたいと、怖さ半分、楽しさ半分で走りました。笠沙到着まで、通過していく町の景色も将来訪問することを考えながら、無事到着!
漁業のまち笠沙町に足を踏み入れたキャラバン隊。めざすは笠沙の文化や歴史、そして美味しいもん。出迎えてくれた笠沙町役場の方々に誘われて、生の笠沙町を見ることができました。しかし!地域を知る一番の近道は、何と言ってもノンカタ!!ということで、今宵は地元の方々と膝をすりあわせながら、ご当地愛飲の焼酎『一どん(いっどん)』を酌み交わしました。もちろん『侍士の門』も。焼酎談義や地域の歴史ばなしに花が咲き、にぎやかすぎる短い夜がふけていきました・・・・・
【笠沙町】  
人口   3951人
主産業  漁業
◎薩摩半島南端に位置し海に囲まれ、同じ「すんくじら」財部町から見ても本当に遠い町。
★笠沙町に入り、さっそく「杜氏の里」

大浦町を過ぎて、この案内標識より笠沙町に入る。目の中に入ってきたのは、富士か?開聞岳か綺麗な形の山があった(野間嶽)この、写真には、まだ写ってません。職業柄、聖地に踏込むようでゾクゾクするようでした。
最初の訪問先は・・笠沙と云えば「杜氏の里」です。ここから、スタートしたいと思います。町の第三セクターで運営されております。民間が経営している蔵とは、根本から違うように感じました。非営利に近い伝承と精神を感じました外から聞くだけでは、駄目ですね。里を興した初代の方々の考え方には、納得のいくだけの信念がありました
笠沙町役場・企画課課長の橋口一郎氏(左)、企画課観光係長・片平孝一氏、杜氏の里初代館長・宿里澄彦(笠沙町役場)氏(右)が、私たちの案内をしていただきました。初対面であり、県内では話題になっている企画のスタートという事で、お互いに緊張しております。中央の方が、初代笠沙黒瀬杜氏の「片平一」さんのお孫さんにあたる人でした(片平孝一)。あの有名な、完全手造り焼酎一どん」(黄麹)の名の由来はそこからきている。
黒瀬杜氏・笠沙伝承匠の技 〜杜氏の人形に扮した蔭で、MBCタレント瀬川洋一郎さんのナレーションで演出。(一般入場者にもわかり易く説明。)
【黒瀬杜氏の系譜】初代杜氏から2百名以上の杜氏が連ねているが、現在では数名しかいない。これは、何を、意味するのか?よく、考えねばなるまい


名は残っても、笠沙黒瀬杜氏がいなくなる
初代館長、宿里澄彦氏の案内で造りや、杜氏の技術・心構え・魂の説明を享けている。麹造りの話では、特に自然環境と感と技が必要だと丁寧に教えていただいた。昔、笠沙杜氏は、多数、町外や県外に仕込みに行っていたが不思議に町に酒造蔵は一件も無く、また興すこともなかった。そのうち、だんだん杜氏の数も減り、いまでは数名であり後継者も無く廃れる寸前である。しかし、
「先人の杜氏たちが残し伝承してきた技や心だけでも残したい」と採算という枠を超えて「杜氏の里」を建て笠沙町が運営している。大変な功労だとおもいます。〔鹿児島県民みんなで、応援しましょう!また、日本中の焼酎党の方もよろしく!〕
この様式とまったく同じ物を万膳酒造で観たことがある。五代酒造の夢華詩話もこの木桶蒸留であった。若潮酒造・白金酒造も木桶がある。完成された、非のない蔵である。この蔵に年を重ねた歴史はないが、歴代杜氏が苦労して伝承してきた深い強い思いは確実に残り伝わってくる。
杜氏の里で製造された焼酎です。「笠沙恵比寿原酒37度芋焼酎」・「薩摩すんくじら」・「一どん」等など。右の写真は、「一どん」が予約で交換や配送される分です。予約は、往復ハガキにての申し込み・抽選にて返事がきます。できましたら、杜氏の里を、訪ねてください。観て聞いて笠沙の素晴らしいところを直接感じていただきたいです。
お問い合わせ〜「杜氏の里」 п@0993−63−1001
キャラバン隊から、視聴者にプレゼント!
入り口にあった不思議な物。笠沙町を素晴らしいと感心した一つとして、この「太陽光発電・計測表示装置」と「杜氏の里」全体等に使用する為の太陽光発電設備。大きさは、写真では解り難いですが相当規模の大きい設備です。何か、笠沙のポリシーの一面を観た!感じです。昔からの伝承を大事にするだけでなく、地域の環境を考えながら新しいことへの挑戦も実践している町だと感じましたそれが、自然に優しく融和しているところがとても好感がもてていい。
★★笠沙美術館 
※笠沙黒瀬出身の美術家、黒瀬みちのり氏が笠沙町に絵画を寄付された。それを元に、美術館が建てられ現在に至っている贅沢といっていいほどの環境を持ち合わせた美術館である。のびのびとした気持ちで観れるように感じ、癒しの場でも、ありました。
「杜氏の里」を出ると、道路を渡り海を望むことが出来る。その下に、「笠沙美術館」がある。説明によれば、小島付近で昔、密貿易が往来していたそうで監視小屋があったそうだ。最近でも、麻薬の大量密輸が発覚したのも記憶に新しい。
展望台から渡り橋を通り、屋上から入館する。
 偶然、「東京在住でボスニア(旧ユーゴスラビア)のアーティスト、ヤドランカさんが演出し笠沙の子供たちと共同制作した作品の展覧会が催されていた。開会式では、薩摩琵琶やイランの「サズ」、ギターなど共演されたと聞く。笠沙町の教育文化高揚意欲とヤドランカさんの交流は素晴らしい。
私たちが兼ねがね美術に接する機会が少ないからか、配色がなんとも鮮やかで、初めてみる色に「うわーっ綺麗」。子供の頃に画いていた絵の具の色とは、雲泥の差がある。隣町の末吉町も美術に力を入れているが、財部の子供たちにもこんな色の絵を画かせてみたい。
★★★ 風力発電(九州電力事業)環境保全型事業
 橋口一郎氏(企画課・課長)の説明によれば、昔はこの湊から出港していたそうだ。ここからは、大海原が広がっている。昔の湊を偲ばせる所だ。
 関係者全員で展望台に登り目の前で見た。想像より凄い。台風が明日に迫っているだけに、風も強いので、ゆっくり回っているのに音が「ウンウン」唸って聞こえた。1機、1億円以上するらしい。岬の中にあり、左右方向の風向きに対応して絶えず操業でき、笠沙の地形をうまく取り入れている。
★★★★ 地元との交流会
役場関係者との初めての交流。杜氏「宿里正治」さん(左最前)も参加。どんなこと、聞けるかな?笠沙PRは?皆さん、まだ、硬いようです。「今日は案内お疲れ様でした。」・・、橋口課長は、以前、財部町中谷小学校との「すんくじら交流」を覚えておられて懐かしく語って頂き親しみを感じました。
橋口課長から紹介で突然飛び入り参加に来られた、関西笠沙会会長・笠沙育成会会長で「杜氏の里」設立当初から焼酎「一どん」を自らPRしてきた「向江新一」さん。この人も笠沙町を愛してやまない情熱の方の1人であった。「今日の課長はニコニコしていている。かねては、怖くていつも怒られているのだが・・」と、グッと一杯!
焼酎「一どん」や「侍士の門」等など、腹一杯呑みました。後で、この写真を見て、故郷探訪キャラバン隊を実行したことを本当に良かったと思った一枚です。残念ながら片平係長はレンズの後ろ!盛況の中、時間オーバーで、明日の情報交換をしながら、閉会となる
◎昔の杜氏は、今の様に器械やコンピュータのない時代で、仕込みに影響があるモロミの温度を確実に間違うことなく正確に覚えていた。それは、気温を肌で考え、麹やモロミを指や手、舌(べろ)で確認していた。ベロメーター・肌メーターと云っていた。永年の杜氏の勘・感とはそういうものだろう。常人には、真似のできない匠な技術(わざ)といえよう。是非、1ヶ月でも仕込みに飛び込んで仕込みに参加すれば杜氏の魂に触れられると、宿里澄彦・前館長に誘われたが「分が違います。私は、販売が分で本職です。最近では、開かれた門をいいことに職人の域を超え、職域の判断が解りにくくなっている例もあり、杜氏の仕事の苦労・大事さが解るだけにその領域に入り込むことは、酒屋の分を超えていること」と説明した。それほど、杜氏職は、私にとって重要な特別なと考えている。お互い存続を願う心は同じ、心意気と魂も計り知れればなおさら笠沙町を応援したいと思いました。
小耳に挟んだ話本音で、笠沙町の多くの方が常時飲まれる焼酎はなんですか?との答えに、
片浦地区 吹上
年配の方 萬世 ・ おはら
〇 笠沙の人が何を飲んでいるのかということは、地域柄、内密?ではと思いましたが、公表しても良いということで今回掲載しております。杜氏はいても、製造蔵(焼酎屋)が昔から一件も無く、身近に購入できる焼酎を飲んでいた。いまでは、多用になっているが・・あえて上記の銘柄を挙げられた。
〇定置網を昔は朝夕揚げにいっていたが、今は漁獲量も減り、一回(朝五時頃)出港して、その後、漁師小屋(番屋)にて新鮮な獲物で一杯ということもあるらしい。聞いただけで、堪りません。
(参考)
 ※7月14日 訪問2日目        
★一夜明け、早朝・笠沙の風景
台風が接近しています。朝焼けが異常にきらめくのは、台風のせいでしょうか。
 早朝に港にいくと、漁師の方々が慌しく台風接近の為に船を厳重につなぐ最中でした。また、何人かの太公望がきてましたので、「何があがりますか?」と聞くと、「キスです」と返ってきた。女性もいましたが、5匹ほどあげてました。(私も浜チャンのように、一式準備して積んではいるんですが・・・)
【14日】
 二日目は、笠沙会会長・向江さんと、企画課課長(笠沙恵比寿・取締役)橋口一郎氏、お二人で案内して頂きました。役場も休みでしたが、お世話になりました。
笠沙町役場の前で、一枚、記念写真を!
★★笠沙恵比寿 笠沙町片浦(野間池)
  п@0993-59-5020 FAX 64-2281
kss-ebisu@po.synapse.ne.jp
◎笠沙町役場ホームページ
海を学ぶ、海を遊ぶ、海の冒険館
宿泊・食事・博物館・市場・イベント・遊び等、笠沙の魅力をいっぱい提供!人気の施設なので、予約をお早めに!今夜も、満室。
 通路には、地元の美術家・黒瀬みちのり氏の作品がずらりと並び、別な通路にも演出がたくさんあり、デザイン好きなら2度も3度も嬉しい!この施設には、昔懐かしい道具や民具などを展示せず、今でも使用できるものは使用して何気ない憎い演出をしている。
売店の前では、近隣の町の特産物も紹介販売しています。
 笠沙恵比寿では、オリジナル・デザイナー商品に力を入れています。また、竹製品も多く展示販売されています。
★☆ちょいと、洒落たお店から、テラスへ!
店から、外に出て、テラスを制作する際のエピソードや床材の特殊さの説明を聞いた後、「あそこに観える右と・・」と、
 小さくて見えませんが、(右)沖防波堤の中にイケスがあり、その中では黒マグロの養殖をしているそうです。80キロほど育て、東京・築地に運ばれキロ5,000円、40万位で売買される。
【恵比寿新鮮市場】施設の外では、新鮮市場が常設されています。
市場の前には、本格的なイケスがあり活魚が管理されています。今、漁師さんが、水の調整中の絵です。
市場内の様子です。イケスもあります。いっぱいの新鮮な海産物です。

【野間岬名物】タカエビ・ショップ内の冷蔵庫にありました。車えびくらいの大きなエビ。
★★★憧れの、ヨット「垂乳根号」
特別に中に入る事を許されて、ウットリ!・・「浪漫です!!
貴重なヨットがなぜ、ここにあるか?当時、福岡で2億円という買値がついた
「垂乳根号」を売却せず、笠沙町に寄付されたと聞いた。笠沙町では、管理保存だけでなく、青少年や子供たちに「」をもつように、ヨットで海に出てみようと構想を練っているらしい。早く、実現してもらいたい。
世界一周!
迫正人 世界一周
1978,5・21〜1986,1・11
今給黎教子 日本人初単独太平洋往復横断
1988,6・11〜1988,12・3
宮内辰秋 中村力 垂乳根2号世界一周
1991、6・2〜1992、5・22


ヨットにつけていたあの日章旗。成功記念のサイン入り。 ここには、航海日記や写真アルバムがびっしり保存されている。貴重なもので、全てここにくれば、実感できる。まさしく、ヨット博物記念館です。
説明の合間から、台風は益々接近し、風が強く、慌しく船に目をやる関係者。しかし、さすが、笠沙海の子。青い海で水遊び。
【薩摩型和船】伝統に生きる工業〜船大工名棟梁 吉行昭さんの作製したという、薩摩の代表的和船。
【定置網の模型】初めて、みてわかる定置網の漁の仕組み。「なるほど!」と感心
★★★★神話の海に、話題の甚平鮫がいる
笠沙町では、鹿児島水族館の人気物の甚平鮫(じんべいざめユウユウ」が大きく育ちすぎた為の代わりの鮫2号をイケスでならしている。この、真ん中の島あたりにイケスがある。(全国各地の水族館の魚の供給基地であり、ここから、色々な種類の魚介類が出荷されています。特にサメ類はほとんどここから出荷されています。〜笠沙町観光案内資料より)
※【笠沙町の歴史】仁王崎海岸の神話
笠沙の宮において成長された三皇子はそれぞれ職務を分掌されることとなりました。火照命は海の幸を掌って海幸昆古(彦)『うみさちひこ』として、海の漁が巧みでよく大漁、小魚をお捕りなされ、火遠理尊は山幸昆古(彦)『やまさちひこ』として山野の漁が上手、うまく獣類、鳥類をお捕りなされました。・・・と、誰しも知っているあの山幸彦と海幸彦の兄弟喧嘩の神話のご当地は、上の写真の海岸だと聞き、取材車をとめて、レンズにおさめました。また、皇孫ニニギノミコトが高千穂霧島に天降りされたが、当時火山が大活動の状態で、断念して笠沙の野間嶽(のまだけ)に天降りされ、島津の領守も代々、厚く参拝してきた。まだまだ、歴史を探るとたいへん神秘深い笠沙町。

笠沙町の資料を紐解けば神々の時代から物語性の大変多い町であると実感しました。それとともに、海と共に暮らしてきた歴史も大きく重要な町の色合いをだしているとおもいます。町をぐるっと回ればあっという間の時間ですみますが、私たちが見てきた以上に実際はまだまだ笠沙の魅力はあり、笠沙の歴史や生活暮らしなど全てを伝えるには「時間が足りないなあ!」とつくづく反省して、今回の笠沙訪問のお話を終わりたいとおもいます。


                              
編集局から
今回、笠沙町には取材で大変お世話になりました。馴れない企画で、充分な取材が出来なく、台風接近の中、ありがとうございました。今回の経験をさらに勉強しまして、次回の訪問町の取材に生かしたいとおもいます。本当に、ありがとうございました。
〇次回は、【大崎町】に伺います。お楽しみに!
 大型船舶座礁事故、お見舞い申し上げます。
財部町役場・企画課から
 笠沙のまちづくりは昔からあるもの今風に新しく取り入れています。めずらしいものばかりを取り入れてまちづくりを行っていません。第三セクターの焼酎工場は、近代化の焼酎工場で杜氏は少なくなってきている中、笠沙の杜氏も減少してきているが、この町には子や孫のために杜氏という仕事で家を守ってきた人たちがいる。いつの時代になっても笠沙の町は杜氏の町であるという先人を敬う気持ちが焼酎造り伝承館「杜氏の里」である。古き良いもの今風によみがえらせる笠沙町の人々の素晴らしさをしりました。笠沙のまちづくりは『温故知新』の一言です
                   企画課
                        富 岡 豊 文

鹿児島横断・全市町村訪問(宮崎の一部も検討枠)
薩摩・大隅「本格焼酎の香り」故郷探訪キャラバン隊
主催 日本・侍士の会      後援  財部町
★☆★インフォメーション   離島の物産展開催中
        MBC
鹿児島市内「いずろドーム

屋久島の会場では、海産物や珍しいものが並んでいました。
首折れ鯖の生節です。めずらしいです。首折れ鯖だけでも、凄いですが、それを生節にしている。鯖ぶしをスライスして、塩ラッキョをはさんで爪楊枝で刺して食べる。ビールが、欲しいです。大変、味があって美味しかった。
奄美・与論の売り場では、黒糖焼酎の宣伝隊が来ておられました。全部、戴きました。美味いでした。偶然、大崎町の太久保酒造の従業員の方がとなりで、試飲されていてビックリしました。与論の方は、陽気です。音楽が鳴り出すと、躍りながら接客して、ドームの中は離島の香りと、ムード100%!
「星の砂」を、プレゼントしていました。会場では、手造りの塩を販売していました。一味もふた味も違う美味しい手間がかかった塩でした。つい、買いました。
※来年の春まで、企画されています。是非、お立ち寄りください。タレントショーもありますよ!お楽しみに、どうぞ!

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五分の目編集局
maehata@vesta.ocn.ne.jp
五分の目編集局長より
★編集員(本人)がまだパソコンを熟知しておらず更新が遅れ気味になっていますことを深くお詫びいたします。今年中には、もう少し早く情報を送れるように努力いたします。