今宵は、蜘蛛の糸のように細〜いきっかけを頼りに、鹿児島市は天文館での飲ン方となった。通常のキャラバン隊はいろんな市町村の文化や特産品などの掘り起こしと交流を兼ねて執り行っているが、今回は番外編ということで、ほぼ純粋な飲ン方。毎度毎度、普通には終われないキャラバン隊。その詳細をできるだけ詳しく皆様にご報告いたします。
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《課題》
歴史作家 桐野作人氏と交流を深めることでお互いの人間性を理解し合い私たちが害のない人間であることを認識してもらった上でともに飲ン方を楽しむ
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【注意点】
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翌日、桐野作人氏は講演の仕事があるので深酒させすぎないこと |
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羽目を外しすぎて興醒めとならないように注意すること。また、通常のような次元の低い発言はできるだけ控えるよう努力すること。 |
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桐野氏及び参加者各々の翌日の仕事のことも考慮して午後10時までには必ず帰ること |
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自らの飲み過ぎ注意! |
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【日時と場所】 |
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場所: |
鳥将軍 |
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日時: |
平成20年5月26日(月)午後7時30分〜 |
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参加者数: |
計8名 |
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(主賓1名、前畑隊長、曽於市役所職員3名、テレビ関係1名、新聞関係1名、製茶業者1名(飛び入り) |
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アイテム |
桐野、侍士の門(各1本) |
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【導入と経緯】 |
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桐野氏がご自分の姓と同じ焼酎があることを知人からの伝聞により知った。このことによって、桐野氏がこの焼酎の購入を思い立ち、キャラバン隊隊長の前畑との連絡を図る。
その当時、桐野氏は南日本新聞において“さつま人国誌”を連載中であり、前畑もこの連載欄を見ていたこともあって、急速に接近。
さつま人国誌には焼酎『桐野』のモデルとなった桐野利秋のことも記載されていたことから、これも何かの縁とばかりに、前畑が焼酎PRの一環として、桐野氏へ焼酎『桐野』の手渡しを企画する。
さすがに前畑隊長が桐野氏の仕事の拠点である東京まですぐに行くことは仕事の都合上できないので、上京の予定があった知人(キャラバン隊隊員 花房)にその役をお願いする。
無事、念願だった手渡しが叶ったことによって、さらに両者の距離が接近することとなる。(これからの連絡調整役は、前述の花房が行うこととなった。)
後日、桐野氏が鹿児島県に帰郷しての講演会(5月27日)があることをこちら側が知ることとなり、さらに相互理解と交流を深める為、今度は桐野氏帰郷歓迎会を企画し、桐野氏に今年の2月末頃、ど厚かましく飲ン方開催を打診したところ、思いがけない快諾をいただく。
こうして、桐野氏の講演会前日の歓迎会が実現することとなった。
余談ですが、桐野作人さんは、桐野利秋とはまったく関係ないそうです。 |
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【結果】 |
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桐野さんが以前に手にした焼酎『桐野』は1本しかない。その一本をあけるのがもったいなくて飲む決心がつかないまま当日に至っていた。
手元の焼酎『桐野』を温存したままようやく口にできるし、1本限りだが心おきなく飲めるということもあって大変喜んだ。
乾杯してしばらくは“焼酎『桐野』をみんなで味わう会”のような体であったが、1時間経った頃にはみんなうち解けあったせいもあって、“焼酎『桐野』を飲み干す会”のような勢いになっており、約2時間で1升飲みきってしまった。
焼酎『侍士の門』をも早々と開封し飲み出すこととなった。
歴史作家を交えての飲ン方だったが、歴史に関する話しはほぼゼロだった。乾杯して間もないうちは焼酎業界をとりまく厳しい現状や桐野にこめた情熱などを熱く語り、それらも含めて自分たちそれぞれが何かバックアップできることといえばどんなことがあると思っているのかなどを熱く語ってはいたが、もうそんな話しは焼酎が進むにつれて自然と馬鹿話にすり替わっていた。
歴史を交えた話しの内容といえば、焼酎の銘柄についてだった。『“桐野”っていう名前もいいけど、関東だったら○○なんていう名前は知名度高いですよ。□□なんていうのなんかもいいと思います。』といった1点ぐらいしか思いつかない。歴史作家を囲んでいるのに、結果的にほぼくだらない話しに終始させてしまった。
気が付けば10時を過ぎており、急いで車を止めておいた市営駐車場に向かったが、閉門時間を過ぎており車を出庫できない状態になってしまってた。(気が付いた時点ですぐに駐車場へ走ればよかったのだが、律儀にお開きのあいさつと一本締めまでやって時間をロスしたことが事態を悪化させる一因となってしまった。)
よって、手持ちの少ない私たちは検討の結果、タクシーと交渉の末、4人乗り合わせてタクシーにて財部町まで帰ることとなった。 |
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【考察】 |
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早いもので、あれから数日が経った。
あの日の飲み会も、何気ないいつもの飲み会の一つとして記憶に残っているのみ。時折、桐野さんのブログをのぞいては、「うわぁ、今日も頑張っているなぁ…」と思い、何となく、何か応援できないかなぁ、という気持ちにかられる。まぁ、そんな気持ちをどこに行かせたらいいのか、どこに向けたらいいのかも分からない。
その気持ちの元はといえば、『直接会って飲み交わしてみたい』というこちらの要望に快く応えてくれた桐野さんに対して若干の義理を感じているのが正直なところ。
今回の飲ン方によって、私たちの話す会話の内容によって、いかに私たちが学術的レベルの低いポンポコピーな連中であるということは、桐野さんも十分すぎるほど認識できたと思う。私たちも桐野さんに今回はじめて拝顔して、想像してた歴史作家とは全然違う寛容な方であるということは十分認識できた。まさか初対面の人を囲んでの飲ん方があんなにも弾むとは思いもしなかった。
今回の飲ん方のケースは、これまでにない変わった飲ン方だった。桐野さんは楽しかっただろうか。帰省して良かったと思えただろうか。また帰省したいと思わせる飲ン方だっただろうか。
ほぼ初対面の人に囲まれて飲ン方をした桐野さんの心中は推して量ることもできないが、歓迎する側としては、十分すぎるほど楽しませてもらった。これらを踏まえた上で、また桐野さんを囲んで飲ン方をすればさらに楽しくできると思う。次は場所をかえて、参加者数も時間も焼酎の量も増やしてチャレンジしてみたいと思った。 |
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【補足】 |
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翌日5月27日は鹿児島市内の宝山ホールで明治維新で活躍した薩摩藩家老の小松帯刀をテーマにした講演会が行われた。
当初は夜だけの講演会だったが、好評につき昼夜2回講演となった。
講演の内容を私なりに手短に説明するとすれば、『西郷どんや大久保利通なんかより、小松帯刀の方が桁違いに凄かったんだ、西郷どんや大久保利通はもういいから、もっと小松帯刀を知らなきゃダメですよ。鹿児島県民なら特に!』といったところです。 |
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【作品】
・だれが信長を殺したのか
・真説 本能寺
・真説 関ヶ原合戦
・おまつと利家―加賀百万石を創った人びと
・孤高の将軍 徳川慶喜―水戸の子・有栖川宮の孫に生まれて―
・歳三と龍馬 幕末・維新の青春譜
そのほか
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主催 日本・侍士の会
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完
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【編集後記】 |
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飲ん方のレポートは書きづらい。飲ん方なんて、内容は二の次なことは当然で、楽しかった余韻や感想も漠然としていて、表現の仕方が難しい。なにしろ、酔いに任せた雰囲気の良さが飲ん方の真骨頂なだけに、みんな翌日は楽しかったことは間違いなく感覚として残っているが、何をしたかとかしゃべったのかなんて更々覚えちゃいない。
ただ一つはっきりと心に残ったことといえば、なぜ桐野さんが今回のほぼ初対面の人たちに迎えられての飲ん方をO.Kしたのか聞いたとき 『どうせ一人でいても、どこかで夕食すませて、ホテルに戻って寝るだけですから。』、そんな返答が返ってきた。誘った私達を気遣っての一言だろうとは思うけれども、そう言ってくれる気遣いが嬉しかった。これはまた、帰省した際に飲ん方で桐野さん
を迎えてやらねば。1年後でも3年後でもいい。ふと気が付いたときでも。いつでも桐野さんの帰省を歓迎したい。そんな気持ちにさせる男子でした。
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【次回の予告】
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