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現在、日本・侍士の会が企画開発し保有している焼酎銘柄は、旧酎「侍士の門」であり、また米づくりのきっかけとなったおコメ“亀の尾”を使用しその米の特徴を最大限引き出し、焼酎として鹿児島で最初の試みとして挑戦した、西酒造の「薩摩の斬り札」もある。※ただし、「薩摩の斬り札」は、終売。
「薩摩の斬り札」※終売
この焼酎を語らずして侍士の門は語れません。財部町に15品種の米を栽培するが、“夏子の酒”という「亀の尾」の米栽培、酒完成までの物語に感銘をうけ始ったことから、同様の経験と苦労の末にできた米を、焼酎に使用したい気持ちを九州焼酎本場鹿児島で形にした初の焼酎。
現在は、工業団地内の新工場に大きくなり移転しているが、当時、今となっては旧手造り新醸造場も完成したばかりで、焼酎「富乃宝山」手造りに日々忙しい時期であり、非常に難しいその中で、財部町への協力酒として製造される。
(西酒造の片隅の一番小さなタンクに貯蔵)
製造蔵:西酒造
原材料:米「亀の尾」・芋
濃度:25度
内容量:720ミリ
しかし、その亀の尾はばらつきが原因のために、リベンジを図る為に、製造を14年度より終了した。現在、リベンジ中!
造りや原料を明確にし、表示等の徹底、あいまい差を無くすことを実践するために、残念ですがリベンジ達成まで製造を中断致します。【財部町・亀の尾生産企画】
☆普及所の見解
筑波からきた時からばらつきのある種子だったので、亀の尾に間違いが無いが、種子交換の時期でもあり、妥当である。また、亀の尾でさえ色々な地で永年作られており、どれがオリジナルの亀の尾か分からない。で、あれば財部のオリジナル亀の尾も存在する。
☆このことから、亀の尾を再度、形を変えて栽培に取り組む。
旧酎「侍士の門」
15品種の中の「白玉」という、151年昔鹿児島・宮崎・福岡に共通の幻米を復活させ製造される。
(下記の2種は、既に完売済みで保存用一本ずつのみ有)
初年度12年は
〔A〕 白玉米・黄金千芋・黒麹 約600本
〔B〕 白玉米・源氏芋・白麹 約600本
※ 1ヶ月程で完売 特約店数13店
2年目13年は
〔C〕 白玉米・源氏芋・黒麹 約2700本
内720ミリ 132本限定
※ 11ヶ月分が、一月中に予約完売済み
(一般消費者の予約のみで完売)
特約店数 22店
非常に薫高く、芋焼酎のもつ柔らかいふっくらとした風味と、白玉米の特性が何ともいえないほど相性がよい!一度呑まれた方々から大変な評価を頂いております。一番、嬉しいのは個性的な新しい物を追うブームの中で、永年数々の焼酎銘柄を愛飲された地元の消費者からの「美味しい、また呑みたい」との沢山の声が「侍士の門」を支持しておられることです。
白玉について
侍士の門に使用されている米・白玉は、1849年頃の日向の国で栽培され、それを福岡の民間人「弥作」という人が持ち帰ったという記録が残っていて鹿児島・宮崎・福岡三県共有の“幻の米”と考えられる。
日向の国とは宮崎を指し当時薩摩が広く支配していたことから財部・末吉・大隈・松山・志布志・大崎にかけての一部を指し、度々、県名共に支庁の管轄が変化する。
明治、大正頃まで栽培されており、現在では幻となった白玉米を年月をかけて復活させ原料数量になるまで増やし、侍士の門という焼酎に完成させた。
1) 白玉 (末吉普及所・吉田資料 一部参考)
旧幕時代の酒米用の大粒上質米、西日本で栽培され後に雄町に代わる。旧幕時代から大阪米穀市場は、酒米用の大粒上質米を歓迎していた。明治初期の米穀輸出でもこれら大粒種が幅をきかせた。
※「侍士の門」は、生産農家、一般ボランティア、各販売店、製造蔵で結ばれており、財部町役場、普及所(末吉)等の協力で完成しております。
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※蔵全体を白玉の香りで包まれる貴重な経験をする参加者。きっと絶対忘れない侍士の門に含まれる大きな特徴を脳に刻み込む。 |
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1次仕込み開始!
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杜氏の心配とはよそに、製麹(せいきく)は完了し、
白玉に魂が入り焼酎造りに一歩近づいた。
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一時で仕込んだ(カメ仕込み)もろみを
2次タンクに移し、櫂(“かい”と読む。
まぜる棒状もののこと。)を入れているところ。
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